陰陽道とは


陰陽道の起源は紀元前の古代中国にまで遡ります。自然の脅威に抗う術を持たなかった時代、自然現象を予測することは生命に関わる出来ごとでした。
先人は気象の変化、動植物の行動変化に法則を見つけ出すようになり、「夕焼けがあれば明日は晴れ」のような統計を見出すようになります。
万物の根源は何か?万物を構造的に把握し、理論的に体系づければ次に起こり得る出来事を推測することが出来るという考えが陰陽道の始まりです。

幾星霜にもよる時の中、幾万もの事象の統計が集まって行きました。
霊符などはその典型で、この文様を組み合わせるとこういった事が起きるようだ…という、古来よりの統計です。
当然、その統計には科学的根拠はありません。しかし、古来の日本にも中国にも、陰陽道を専門とする国の機関が存在したことからも、
人智を超えた何かを多くの先人達が感じ取っていたことの証拠とだと考えられます。

陰陽道が中国から日本に渡って来たのは、大和朝廷成立以前からだとされていますが、はっきりとした起源は確認出来ません。
「日本書紀」の記述の中に、陰陽道の思想である五行の記述があることから、西暦520年頃には日本に入って来たようです。

大和朝廷成立以後、帝を支える思想や帝の呪術的権威を裏付ける理論・技能が必要とされました。

当時の社会において、占術・呪術は国の政策を決める最重要な技術であり、中国より入ってきた陰陽道は既に体系立っていたことから急速に広まって行きます。

陰陽道の専門機関である「陰陽寮」が設置され、陰陽道が国家の管理となったのが天武天皇による治世(673年~686年)の時でした。

当初は国の機関員としての役割を持つ陰陽師でしたが、後に帝や公家の私生活に入り込むようになり、大きな影響力を持つ陰陽師が出現するようになります。

帝・公家からの我儘を叶えるという役割を担うようになったが故ですが、この頃の名残が様々な霊符・呪として現代まで伝えられています。

10世紀、稀代の陰陽師である安部晴明の登場後、国家の陰陽道は安部家が統べて世襲化することになったため、陰陽道は秘伝となり秘匿性が強いものとなりました。

事実、朝廷における陰陽寮は、明治時代まで安部家が統括しています。

一方、安部家の統括から外れた市井の陰陽道は、呪術的な側面を強め広まって行くことになりました。

この頃、日本土着の神道や仏教、修験道と融合した陰陽道が誕生し、帝・公家だけのものだった陰陽道が一般にも強い影響を与えるようになって行きます。

当会は、安部家統括であった陰陽寮を出身とする陰陽師を祖とし、修験道との交わりにより誕生した修験陰陽道です。

室町時代より絶対の秘伝として語り継がれきた秘儀を現代まで伝えてきました。

当会は、「人が持っている元々のバランス」を大事にしております。

悩みを持っている方、病んでしまっている方というのは、往々にして陰の気が強くなり、陽の気が弱くなっています。

逆に、睡眠を殆ど取らずに多動的に動いている方は、陽の気が強すぎていることが多く、決して良いことではありません。

陰と陽のバランスは一定であり、どちらかに傾いてしまった時に精神や体調を崩してしまうことが多いものです。

私たちは医師ではありませんので治療はしませんが、呪や霊符などの古来より伝わる「こうあれば、こうなる」といった統計にて、皆さまのお悩みのお手伝いを致します。

霊符・霊珠などは、あくまで願いを達成する増幅器に過ぎません。

願い達成に一番重要な、陰と陽のバランスを取るお手伝いが出来ることが、私たちに与えられた使命だと思っております。

 

京都修験陰陽道 栄神会

代表棟梁 藤崎

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